企業は審査員に自社の考えを堂々と主張せよ!

2001年2月1日

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1.実態と乖離したマネジメントシステム

筆者が審査を通じていつも思うことは、企業側がなぜこのような大げさなシステムを構築してしまうのだろうかということである。審査の過程では、大げさなシステムだからといって、不適合とは言えないという「不文律」があって、あまりそのことについては触れないが、審査側としては内心、『これから運用していくのは大変だろうだなぁ』と気の毒に感じているのが現状なのだ。せっかくヤル気を出しているところに、冷水を浴びせるような発言は、審査員としてあるまじき行為であるから、必死で抑えているのである。
 ISO認証取得は、取得がゴールではないと分かっていながら、認証取得後はすっかり安心して、システムの維持・改善などは事務局の仕事とばかり、投げ出す企業が何と多いことか。
 一方、経営者は経営者でISO導入は取得が目的ではなく、企業体質を変えるのが本来の目的だと宣言しておきながら、やっぱり本音は「お墨付き」欲しさの何ものでもなかったということが、従業員のしれるところになってしまったという企業も少なくない。
 実はこのような企業に限って、従業員のヤル気を殺ぐようなとんでもないシステムが出来上がっているのだ。誰も読む気がしない堅苦しい手順書、不必要なことまで記録させる帳票類、意味のないレビューや検査の繰り返しなど、およそ現実の業務とかけ離れたシステムを運用させられているというわけだ。
 ISOは外部に客観的に証明する必要があるという思いが強すぎて、何でもかんでも手順化し、記録に残そうとする考えがそもそもの間違いなのである。
 審査する方も、それに輪をかける質問や証拠を要求する。例えば、設備の点検の記録がないということだけで、点検がなされていないと判断する。本来、記録があるかないかではなく、設備を点検したかどうかの方に目を向けるべきであり、点検の証を確かめたかったら、いつもどのような点検をしているかを目の前で実行してもらえば、たちどころに判断がつくはずである。
 客観的な証拠は記録ばかりではない。記録は故意につくられる可能性があるけれども、目の前の作業は繕うことなどできないはずである。その意味では「観察」こそ、客観的な証拠の最たるものである。

2.不適合の件数にこだわる被審査側

いつも審査で感じることは、審査での指摘の件数にこだわる企業がいかに多いかということである。筆者の知り合いのある会社は、本審査でいくつの指摘で通ったとか、当社の指摘は少ないので上出来だとか、まるで指摘の件数で合否が決まるかのような考えをもっている。実は指摘の件数ほど当てにならないものはないのだ。
 細かいことにこだわる審査員であれば、いくらでも指摘の件数は増えるだろう。逆に指摘に慎重な審査員であれば、よほどのことがない限り指摘はあげないことになる。また、ISOの審査はサンプリングで行う。たまたま審査で見つかることもあれば、見つからないこともある。件数には偶然性も存在しているということも考慮すべきだろう。
 審査側の取るに足らない、どうでもよい指摘は別にして、もしその指摘でシステムの改善が図れるならば、気持ちよく合意したらどうかと思う。自社ではシステムの欠陥になかなか気づかないものである。外部からの客観的な指摘は大いに利用したらいい。
 ところで、審査で何気なく指摘したことが、企業側に大いに喜ばれた経験がある。結果的にシステムが軽くなり、従業員の負担が大幅に軽減されたそうである。こうしたケースは審査員として冥利に尽きるが、指摘される企業側の心のゆとりもなければ、このような相乗効果は期待できないだろう。
 審査側の指摘件数のバラツキは、単純には解消できない。人間の個性や考え方に負うところが大きいので、なおさらだ。そのような観点に立てば、指摘件数で一喜一憂するのがいかにばかげているかがお分かりになることだろう。
 ある企業では、審査員からの指摘がゼロということを聞いた経営者が、喜ぶどころか本当に真剣に審査をしてくれたのか疑問を抱いたという。また、別の企業では審査員の指摘の内容で、審査員を評価しランク付けしているという。このような考え方こそ、指摘をシステムの改善に生かそうとしている表れである。
 今、世の中はあらゆるところで「量から質へ」への転換が図られている。
 ISOとして例外ではない。どうでもいい指摘は適当に無視して、自社に役立つ有益な指摘は積極的に取り入れるべきであろう。

3.コンサルタントの活用は最小に

最近、企業側でISOコンサルタントを活用するケースが増えている。ISOへの取り組みが、大手企業から人材不足に悩む中小企業へ波及し始めたという背景があるせいか、利用する企業が激増している。
 審査側からすると、企業側にコンサルタントが入っているかどうかは、何となく分かるものである。例えば、小さな企業に身分不相応なシステムが構築されているとすれば、間違いなく「当たり」である。言ってみれば、その企業の実態に合っていないシステムというわけだ。
 20人規模の企業に、片手で持てないほどの重いファイルに収めた手順書が必要なのだろうか?また、ダンボール箱一杯の品質記録が必要なのだろうか?
 筆者は別にコンサルタントの活用はいけないと言っているのではない。コンサルタントを活用せずにすべて自前でできれば、それに越したことはないが、元々文書化などに慣れていない企業にとっては、自力での挑戦はかなりの負担になるだろう。
 その意味ではコンサルタントを効率的に使えば、大いにメリットがある。特に、取り組みの初期はISOの規格の解釈をはじめ、何かと不安になるものだ。そのような時こそ、コンサルタントを活用し、一気に理解を深めればいい。分からない者同士がいくら議論を尽くしたところで、まともな結論を得るのは難しいだろう。むしろ貴重な工数のムダにもつながり、非効率この上ないかもしれない。
 しかし、だからと言ってコンサルタントに全面的に頼るのはやめた方がいい。なぜなら、企業側が自ら考えなくなるし、何か問題が発生した時にも自分で責任を取らなくなる。また、構築したシステムは自社のものという考えが希薄になり、その後の運用にも支障をきたすだろう。
 そのためにも、コンサルタントは要所で活用すれば十分だ。例えば、規格の解釈、全体の文書体系構築と具体的な文書の書き方、内部監査員の養成、本審査にどのように対応したらいいかなどが企業側の一番悩むところであり、コンサルタント活用のしがいのあるところだ。
 さらに、コンサルタントを選定する目を養っ
ておくことだ。貴重な財源をつぎ込むわけだから、それに見合った成果を期待するのは当然だ。安易に契約せずにじっくりと面談し、実力や人間性も確かめてから慎重に選定すればいい。
 コンサルタントを活用するにしても、あくまでも主導は企業側にあるということも忘れてはいけない。自社に合わないシステムで振り回されないためにも・・・。

表1 審査員評価チェックシート

項目
評価(5段階)
審査技術
ISO9001(ISO14001)理解度
1
2
3
4
5
業種知識:理解度
1
2
3
4
5
質問内容の明確さ
1
2
3
4
5
是正指摘事項の適確性
1
2
3
4
5
時間管理
1
2
3
4
5
人間的資質
精神的に冷静
1
2
3
4
5
相手の意見を聞く
1
2
3
4
5
柔軟性
1
2
3
4
5
協調性
1
2
3
4
5
倫理性・マナー
1
2
3
4
5
総合評価

((株)ISO・マスターズ資料)

4.これからは審査員と戦う時代

 ISOは審査側と被審査側は対等の立場である。
ずっとそう言われ続けながらも、やっとここへ来てそのような機運になりつつある。
 今までは審査員の言うことの方が絶対で、審査されるという弱い立場の被審査側は、不満がありながらも、自由にものが言えない状況にあった。
しかし、最近その状況が徐々に変わりつつある。
審査側の指摘事項について、堂々と自社の考えを主張し、納得が行くまで決して合意をしない企業が出始めているのである。
 実はそれが本当のISO審査なのだ。
 ISO審査員は審査登録機関から派遣され、被審査側のシステムとISO要求事項との適合性を審査する単なる要員にすぎない。
 それがいつの頃からか、審査側という立場をいいことに自分の発言を正当化し、被審査側とあってはならない上下関係の溝を作ってしまったわけだ。
 しかし、これからはもうそんな時代ではない。
これだけISOの情報が普及し、企業側でも真剣にISOを勉強し、研究する人々が増えてきているという現状を思えば、どちらも優劣をつけがたい時代なのだ。したがって、審査員の言うことに、もし異論があるならば、遠慮なく自社の考えを主張すべきなのである。
 自社で構築し、運用しているISOのマネジメントシステムは、誰のためのシステムでもない。社員全員のシステムなのだ。そのシステムが審査側の納得いかない指摘によっ
て振り回されたとしたら、従業員の士気にも影響し、ひいては企業経営にも関係してくるだろう。
 審査側も、是正の指摘や発言に慎重になる必要があるし、へたなプライドはこの際、捨てるべきであろう。
 このマネジメントシステムのISOは、まだ誕生してたかだか十数年に過ぎない。審査側もまた被審査側にも、さまざまな問題が山積しているし、また大混乱の最中にある。
 最近、自社に役立たないという理由で登録証の返上を願い出る企業が出始めている。
 単なるお墨付きほしさで導入した企業は、近いうちに登録証返上という洗礼に見舞われるかもしれない。
 今からでも遅くない。初心に返り、システムのレビュー及び継続的な改善を目指すところから出発すべきであろう。

ISOマネジメント 2001年2月号